カンボジア幻の都市「アンコール遺跡」と近代化目覚ましい首都「プノンペン」観光のすすめ



2014年、米グーグルの「ストリートビュー」にカンボジアの寺院遺跡群アンコール・ワット (ユネスコの世界遺産登録) が追加されました。

世界各地の文化遺産や遺跡などの画像登録を行っているグーグルが、アンコール・ワットの寺院100か所以上を撮影し、360度パノラマ画像9万枚、総枚数数百万枚を作り上げたのです。凄いっ!

 

 

 

語り継がれるべき遺跡群

まずはじめに

カンボジア遺跡の多くは、1970年代の共産主義勢力ポル・ポト派(クメールルージュ)時代に破壊されてしまった、ということを覚えておいてください。

 

グーグル文化遺産部門の担当ディレクターは「このプロジェクトが最も必要とされている国があるとしたら、それはカンボジアだ。

なぜならそれらは消去されたからだ。だがカンボジアにはとても豊かな文化遺産がある」とコメントしています。

カンボジアのアンコール遺跡群

 

 

 

近年も発見され続ける遺骨

2013年、カンボジア奥地のジャングルで100個以上の「遺骨を入れたかめ」と12基の「ひつぎ」が発見されました。

これらは、数世紀の間アンコール王朝(クメール王朝)の辺境に暮らした謎の部族の「遺骨と秘密」を保管してきたものなのです。

これらの遺骨が地上約100メートルの高さにある岩棚のかめに収められていたのはなぜ?火葬を習慣とする仏教国で、これらの遺骨が保管されていた理由は?

この遺骨は誰のものなのか?多くの疑問はまだ解明されていません

 

わかっているのは、骨の一部はシャム王国(現在のタイ)のもので、その他は9~15世紀に東南アジアを広範囲に支配したアンコール王朝のものだということくらい。

「なぜ、遺骨はかめに入れられたのでしょうか?」

 

神聖な儀式のため?

それとも…

カンボジアのジャングルで遺骨発見

一説によりますと、「これらの骨はアンコール王朝の影響力が及ばなかった奥地に暮らすクメール部族のもの」で「もしかしたらアンコール王朝から逃げ延びた奴隷なのかもしれない」と。

 

ミステリーですね!考古学最高!!

 

 

 

最新技術を使った調査

アンコールワット近くのジャングルの下に眠っていた遥か昔の都市について、レーザー技術を使った調査で新たな詳細が判明!

新たに分かったのは、クメール王朝の都市の広大さと寺院群が誇る規模の大きさ

クメール朝は、これまで考えられてきた規模をはるかに超える規模の大きさだったのです。

 
「東南アジアで最も重要な遺跡」とされるアンコールワット。。。

古くから、世界中の考古学者たちが興味を示し続けている謎の一つなのですが、今後さらに調査が進めば、多くの謎が解明されていくことは間違いないでしょう。

世界遺産アンコールワットの魅力

 

 

 

さらに深まった理解

2012年に行われた調査から、「アンコールワットの近くには寺院都市マヘンドラパルバタが存在していた」ことがわかりました!

そして、2015年に行われた大規模調査からは、「このスケール大きい都市の大半は、時間と共に朽ちていく木材などで作られていた」ことがわかったのです。

 

だからこそその多くは朽ち果てているわけなのです。

カンボジアの寺院都市マヘンドラパルバタ

また、石の寺院を取り囲む巨大な遺跡群の詳細な地図や、生活の基盤となった当時の複雑な水路なども判明してきています。

これにより、これまでは寺院の位置を何の関連性もなく別々に示しただけの地図しかなかったものが、「都市全体の詳細な道路地図」を見ることができるようになったのです。

 

 大きな進歩ですね!
この調査結果を踏まえて、あらためてアンコールワットを訪れてみたいものです。

 

さて
そもそも、、、

 

 

アンコールワットとは

アンコール遺跡群の中にある貴重な遺跡の一つで、「クメール建築の傑作」と言われるヒンズー教寺院です。12世紀前半、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世によって建立されました。

 

カンボジアの世界遺産アンコールワット

 

アンコール遺跡は、ご存知の通りアジアにある世界遺産で知名度・人気ともにナンバーワン!美術的・民俗学的価値が高いことでも知られていますが、その広大さは想像を遥かに超えるほど。。。

 

9世紀、現在のカンボジア王国のもととなるクメール王朝が始まります。最盛期にはインドシナ半島のほぼ全域を治めたと言われ、その都が置かれたのがアンコールなのです。巨大な遺跡は、600年続いた王朝の栄華の証!

 

 

 

日本からの遺跡修復支援活動

しかし、1431年、隣国のアユタヤ(現在のタイ)に侵攻されアンコールは破壊されました。

プノンペンに都が遷ると、この地は打ち捨てられ荒廃していくのです (1860年、フランス人によって発見されるまでの長い間、密林に覆われていたのです) 。

 

その後、カンボジアがフランス統治下に置かれたことで保存・修復が始まりましたが、1970年、今度は内戦勃発。遺跡はまたも破壊されてしまいます。

現在は国も安定し、ユネスコなどの国際機関と各国からの支援によって修復活動が続けられているわけです。

アンコール遺跡の修復支援活動

日本も上位の拠出国!

これまでアンコール遺跡の修復支援に投じられたジャパンマネーは実に30億円以上!

これは、日本が支援した海外の世界遺産では最高額で、2位の「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」の6倍にもなります。

 

うーん、

ますます行きたくなりますね〜!

 

 

 

広すぎる巨大遺跡

実際に行ったことのある方ならおわかりだと思いますが、アンコール遺跡は本当に広すぎます!
そのうちの一つ、アンコール・ワットだけでも東京ドーム42個分とか。見学に何時間、いや何日かかることやら…

 

そんなわけで、多くの観光客は、(まるで1週間以上かかると言われるルーブル美術館の芸術作品群鑑賞を早歩き3時間で済ませるかのごとく)、アンコール遺跡群を流して見歩くのみ

 

観光地を早歩き
(歴史的価値からするともったいない話です)

 

多くの観光客は次に、2km離れた場所にあるもう一つのメジャーな遺跡アンコール・トムへ向かうことになります。
ここはヒンズー教と仏教が混在している遺跡群エリア。寺院や王宮、塔、テラスなどが点在し、駆け回っても数時間は要します。

 

さらに、日本人に最も人気のある場所、 (足場の悪い) タ・プロームにも行かなければなりません。
ここでは、自然のままに成長した樹木たちに呑み込まれた寺院を見ることができます。

 

カンボジアの遺跡タプローム
…というわけで

 

この3箇所は6km圏内にありますが、広大なアンコール遺跡のほんの一部にすぎません。

 

いやはや…

 

 

 

遺跡観光の拠点はシェムリアップ

アンコール遺跡をめぐる拠点シェムリアップ

 

長らく忘れ去られていた都を見るために、世界中から多くの観光客が訪れるアンコールですが、その拠点は国際空港もあるシェムリアップ!
残念ながら日本からの直行便はまだありませんが近隣から直接入ることができるため、タイなどから陸路で訪れる人も多いのです。

 

私の場合は、バンコクから陸路でほぼ丸1日かけて行きました。国境で簡単に入国手続きをしてくれるので、事前のビザ取得は必要なし。バックパッカー一人旅であれば割と簡単に行けちゃいます(笑)

 

 

ただし、

 

 

夏に行ってはいけません!

あまりにも広く歩いて見て回るのは不可能なので、レンタサイクルを借りるか、バイクの兄ちゃんを1日以上雇ってガイドしてもらいながら回るか…とにかく広いんです!

 

そんなところへ真夏に行ってはいけません!
遺跡のほとんどは屋根がありませんし…

 

直射日光地獄なのですから!

 

猛暑を凌ぐアジアの人々

 

現地の年間平均気温は30度近いので基本いつ行っても日中はとにかく暑いのですが (トホホです)、東南アジアの真夏4〜5月は絶対に避けるべきだと思います!

 

 

 

終わりに

カンボジアといえばアンコール遺跡なのですが、もう一つ、併せて訪れてほしい場所があります。それは首都のプノンペン。

 

ここには、かつて戦火を交えたベトナムとの友好を記念する碑があります。
この真下で、スケートボードを楽しむ若者たちとこの国の過去について語り合っていただきたいのです。いや、厳密には聞くだけでいいのですが。

 

そして、かつてポル・ポト政権が大虐殺を行った「キリング・フィールド」(観光名所の一つ) に足を運んでみてください。

 

一方で、ビルの建設ラッシュが続くプノンペンの街も見てもらいたいのです。かつての宗主国フランス資本のお洒落なカフェやレストランが立ち並び、店内にはフランス語や英語が飛び交っています。
地場や中国系の大型スーパーは買い物客で溢れ、特に週末は大賑わい。

 

カンボジアの地図

 

カンボジア経済は過去5年間、毎年約7%成長と堅調に伸びてきています。1991年まで続いた内戦の傷痕はまだ残るものの、大きく変貌する首都プノンンペンはその暗い影を感じさせないほど活気に満ち溢れているのです。

 

内戦が始まった1970年からクメール・ルージュがプノンペンを掌握した1975年までに、この地で多くの人たち (日本人ジャーナリストも含む) が殺されました。
そのような歴史もひっくるめて、カンボジアを体験してもらえたらな、と思っています。

 

 


最終更新日:2017/08/19