日本では賛否両論あった「カジノ法案」が早計に可決されてしまいましたが、世界には、カジノにまつわるこんな最悪の事例があります。
場所はラオス。中国との国境の街ボーテンは、いくつものホテル・マンション・レストランが廃虚と化し、巨大なゴーストタウンが出来上がってしまいました。人けなく静まり返り、不気味な雰囲気が漂っているのです。
かつてラオスは、国内各地や中国・タイの国境付近に経済特区をつくり、外資の誘致をもくろんでいました。タイとの国境にあるサワンナケートにはトヨタ紡織やニコン、三菱マテリアルなど日系企業も多く進出してきています。
一方で…
ボーテンでは、中国企業がカジノを中心とした観光開発に乗り出しました。そもそも中国では賭博は違法行為です。そこで、国境を越えた先にカジノタウンを作り、中国人旅行者を呼び込もうと計画したのです。
2003年に開発がスタート。山奥のへき地は激変しました。国境へと続く細い未舗装路の両側に商店や民家が少しあるだけだった村に、ホテル・ショッピングモール・投資目的のマンションが乱立していったのです。
当時のボーテンは完全なるギャンブル・タウンと化していました。カジノだけでなく、闘鶏場や路上マージャンまでも行われていたのです。挙げ句の果てには売春も横行していたといいます。
賭けに勝ち、羽振りのいい男たちを相手にする女たちは中国からの出稼ぎ売春婦です。街で特に大きいホテルの前は立ちんぼのたまり場となり、歩いていると腕を掴まれ「ねぇ、遊ぼっ」とせがまれるのです。
ボーテンの町に人が溢れかえってくると、売春婦の横行のみならず、麻薬を売る地元民や少数民族の数も増えてきました (もともとラオスは大麻とアヘンの名産地として知られています)。
特に山岳部の少数民族は昔から換金作物として麻やケシを栽培していました。今でも旅行者にコッソリ売ったりしていますが、当時のボーテンではかなり大っぴらに行われていたのです。
さらにカジノはマフィアのマネーロンダリングにも使われるようになり、治安は急速に悪化。。。
犯罪は多発し、殺人事件も珍しくない状態になっていったのです。「カジノで大負けし金を払えなくなった客は殺される」という噂はまことしやかに囁かれていました。
事態を重くみたラオス政府は2011年、カジノの閉鎖を決定しました。さようなら!中国人ギャンブラーたち!売春婦たち!そして、ホテルやレストランなどは次々と廃業し、ボーテンの栄華はあっという間に終わったのです。
しかし、
巨大資本でラオスを荒らしまくり、結局のところ廃虚を残しただけとなった中国は、ここへきてまた開発を計画しているようです。
今度はゴルフ場を中心とした山岳リゾート。閉鎖したホテルや商店の一部は再開しつつあり、地元民は「また治安が悪くなるのでは?」「やめてくれ〜!」と困惑しています。
東南アジアで唯一「海のない」ラオスの風景は、山と田畑ばかりです。日本の本州くらいの面積にも関わらず、人口約650万人と少ないため、国道を走っていても滅多に集落を目にすることがありません。
「磨丁黄金城」…
「ボーテン・ゴールデン・シティ」…
先に述べたラオス政府の肝いりでスタートした経済特区のことです。しかし内実は、中国資本に開発を丸投げしていました。
当時を知る現地の男性はこう語っています。
「カジノで遊んでいるのは中国人ばかりでした。カジノ場では中国人の高級娼婦が名刺を配り歩いており、VIPルームの中に入るとアヘンの匂いが立ちこめていました。」
しかし、カジノで身ぐるみはがされる人が続出し、殺人事件が多発。「犯罪の街」となってしまったのです。
現在ボーテンでは、20数件の雑貨店や飲食店が街の片隅に軒を並べています。全員が中国人で、壁の時計は中国時間に合わされています。
これが、中国が強引に創り出そうとした夢の街の成れの果てなのです。
ボーテンから車で10分ほど離れた国道沿いに、かつてこの地に住んでいた少数民族 (ルー族) の村があります。
「2000ドルやるから出て行けといわれました。逆らうことはできません。それまでは田畑の恵みで生きていましたが、今あるのは家だけです。」
「荷物の積み降ろしで家族6人を養っています。この先? あるのは不安だけです。」
最後に、
ラオスにあるカジノ場を2つ紹介しておきましょう。
○ ダンサバーン・ナムグム・リゾート (Dansavanh Nam Ngum Resort)
○ サヴァン・ヴェガス・ホテル & カジノ Savan Vegas Hotel & Casino
この写真のようなラオスの日常的風景と、高級ホテルでの非日常的時間を共に味わうため、一度ラオスに足を運んでみてはいかがでしょうか。