北朝鮮の止まらない核兵器開発の一因は日本にもあり



北朝鮮は、「原子炉から取り出した使用済み核燃料を再処理した」と表明。核兵器の原料となるプルトニウムを新たに生産してしまいました。

2013年に原子炉の再稼動を表明して以降、再処理実施を公式に認めたのは初めて。これは核兵器増産が可能になったことを意味しています。

 

「核実験は中断しない」

「濃縮ウランの核兵器利用もあり得る」

 

何とも不気味な北朝鮮の動きです。

 

 

核兵器を間接的に容認する日本

オバマ大統領が一人、浮いた存在に映る。

オバマ大統領は、「アメリカが核兵器を先に使わないよう」政策を大転換しようとしているのに対し、側近たちは「待った!」、同盟国も「待った!」

日本も、オバマの考えに反対する包囲する側にいます。

安倍首相は、「アメリカが先制不使用に傾けば、北朝鮮への抑止力が弱まる」として断固反対の姿勢を表明しています。

 

長崎の平和式典で「核兵器のない世界」への努力を誓った男の思考はいったいどうなっているのだろう?

何かがおかしい…

この言行不一致は何なんだろう?

 

「今はそんなことされては困る」ということでもあろうが、日本は唯一の原爆被投下国。何が何でも “NO” と言うべきではないのだろうか。

 

「やったらやり返す」の論理ではなく、かのガンジー氏が唱えた”非暴力”の思想を持って核兵器に相対していかねばならないのに…

 

結局は、この中途半端な姿勢が今回の北朝鮮の動きに繋がっているのではないだろうか。

 

 

なぜ核兵器を持とうとするのか?

北朝鮮の止まらない核兵器開発の一因は日本にもあり

 

核兵器という代物は非常に厄介なものです。隣国が持てば持たざる国はその脅威を常に意識しておかねばならないし、持った国もそれなりの覚悟が必要です。

インドとパキスタン、イスラエルとイラン、イラクなどの関係のように、片方が持つならこちらも、ということになってしまいます。

 

それにしても、「核兵器」がいかに危険なものであるのかということを各国のリーダーたちは本当に理解しているのだろうか?

「核」は一国の運命を左右し兼ねない代物であるということを…

 

「あいつが持っているから俺も持つ」

なんて稚拙な発想の上に成り立っている論理なのでしょうが。

 

 

北朝鮮からのメッセージ

北朝鮮はいつも、核実験と弾道ミサイル実験を定期的に行っています。これらの行為は彼らなりの国際社会へのメッセージでもあるのです。

「俺らはいつでも、核兵器を載せた中距離弾道ミサイルを発射できるんだよ」と。

 

膨大な費用がかかるにも関わらず、世界の多くの国では今なお「核」を使おうとしているのです。

故意ではなく、事故によってでさえも甚大な被害が出る可能性を秘めているというのに…

 

そんなことをいろいろ考えてみると、北朝鮮の「交渉」と「脅迫」の道具としての核に対し、いつまでも「アメリカの加護」のもと相対峙している場合ではありません。

日本は唯一の被爆国として、「我々は核兵器を持たない。アメリカに守ってもらわなくてもいい。いい加減、世界から核の恐怖を無くそうじゃないか」と唱えることはできないものなのでしょうか?

 

この問題をイジメに例えるなら、日本は主犯格ではないにしろ、共犯の立場にあります。北朝鮮の暴走を間接的に支援しているようなものなのです。