戦時下のバリ島と日本の深ーい関係

美しいビーチ・リゾートとして世界中の旅行者に大人気のバリ島ですが、当然日本からの観光客もたくさん。それだけではありません。日本人の在住者も多いんですよ。

でも

今回は、観光の話ではありません。戦時下における日本とバリ島の関係についてみていきたいと思います。

 

 

第二次世界大戦

日本は、およそ300年にわたってインドネシアを統治していたオランダと1941年に始まった太平洋戦争の際に敵対国となります。

その後日本軍がインドネシアに進攻し、1942年にオランダ軍は全面降伏。これによりその後約3年半は日本の統治下になったインドネシア。

 

1945年8月15日に日本が連合軍に降伏したことにより、スカルノ (インドネシア初代大統領) は独立宣言を行います。その後再びオランダがインドネシアを植民地化しようとしますが、1949年のハーグ協定により、正式に独立国家となったのです。

 

 

バリ島に眠る「恩人」

日本が終戦を迎えた1945年8月15日、占領下にあったインドネシアで新たな戦争に身を投じた日本兵がいました。

オランダとの独立戦争(1945~1949年)をバリ島の住民たちと共に戦い、亡くなっていった日本人がいるのです。そんな彼らの名前は今でも英雄墓地に刻まれています。

 

太平洋戦争中、東南アジアに派遣され、最後はインドネシアのバリ島にいた日本人。インドネシアは日本の敗戦後、独立を宣言。

すると、再植民地化に乗り出したオランダとの間で戦争が勃発。このとき、島の独立軍と共にオランダ軍と戦い、戦死した日本兵がいたのです。

 

独立後、村民らは「独立の恩人」として彼らの記念碑を建立したのです。

 

 

三浦襄の墓

バリの父と呼ばれる日本人、三浦

 

上述の日本兵とは別に、今でもインドネシアの人々に偲ばれている日本人がいます。

彼の名は三浦襄。三浦はインドネシアの独立に尽力し、日本敗戦のため「独立」の約束を果たせなかった責任を取り自決。

 

もともとインドネシア各地で商売をしていた三浦は、当時日本に帰国していたのですが、太平洋戦争が始まると再びバリ島へ戻り、「日本軍が独立の手助けを必ず実現する」と住民統治を行っていきます。

しかし、日本軍は降伏。

約束を果たせない状況となったため、責任を取って自決。死後もバリ島で独立を見守り続けたのです。

 

 

終わりに

ビーチ・リゾートのバリ島ももちろん良いのですが、こういった歴史を知った上でバリ島を訪れてみると、また違った感慨深さみたいなものも感じていただけるのではないでしょうか。

三浦襄のお墓はデンパサール市内にあります。今もヒンドゥー教徒の僧侶によって大切に管理されています。

観光地ではないため訪れる人はけっして多くはありませんが、今でも彼を偲んで訪れる人が絶えることはないのです。