ベトナムと日本の友好 (越日関係) の歴史ははるか昔まで遡ります。734年、遣唐使が帰国の途中で難破した際、フエ付近に都があったチャンパ王国で抑留されたことが「最初」とも言われています。また、チャンパ王国からは僧侶が日本に渡って来ています (736年)。そして、14〜15世紀頃に交易国家として栄えていた琉球はチャンパ王国と通交がありました。
江戸時代になると、外交文書を交換し朱印船が出入りするようになりました。その際、ホイアンには「日本人町」も形成されています。そして現在、1973年に外交関係を樹立して以来ずっと発展し続けています。「最も強い発展期」とも言えるでしょう。そんなベトナムは「観光」だけでなく「海外赴任先」としても人気が高いのです。
《続きを読む》🔵 正式名称:ベトナム社会主義共和国
🔴 公用語:ベトナム語
🔵 首都:ハノイ
🔴 通貨:ドン (VND)
ベトナムの国土は日本より少し小さいくらいで、人口も日本より少し少ないくらいです (約9,600万人) 。GDPは毎年約8%も成長し続けており、特にハノイやホーチミン (最大都市) には多くの日系企業が進出しています。発展途上国の中では比較的富裕な国と言えるでしょう。
🔵 独立宣言:1945年 (フランスから)
🔴 独立承認:1954年 (ジュネーヴ協定)
🔵 南北統一 (改称):1976年
ベトナム北部の気候は亜熱帯で沖縄のような気温の変化と四季の移り変わりがありますが、南部になると (四季ではなく) 乾季と雨季があり、気温の変化はあまりありません。
1940年、日本軍はベトナム北部に進駐し1941年には南部にまで進駐します (太平洋戦争末期まで、日本はフランス領インドシナ政府と共存していました)。その後、1945年3月に日本軍はフランス領インドシナを解体し、ベトナム帝国を独立させたのです。
日本の敗戦後、ホー・チ・ミン率いるベトミン (ベトナム独立同盟) は皇帝を退位させて革命を達成!ただしこの時、日本は彼らにフランスと同じく「帝国主義国」に過ぎなかったと見られていました。ホー・チ・ミンは独立宣言の中で、「フランス・日本の二重支配によって200万人が餓死した」と演説しています。
戦後日本の調査によればその実数は40万人ほどで、日本は南ベトナム政府に賠償として約4000万ドル (約150億円) を供与しています。北ベトナム政府に対しては、1973年の国交樹立の際に経済協力の形で賠償金を約4500万ドル支払っています。
《続きを読む》第二次世界大戦後、フランスが再び進駐してくるとフランス軍とベトナム民主共和国軍の間で第一次インドシナ戦争 (1946〜1954年) が始まります。この時残留日本兵も多数参加し、ベトナムの独立に大きく貢献しています。1954年のジュネーヴ協定までに、47人の日本兵が戦死したと言われています。
陸軍士官学校を創設しベトミン士官を養成した日本人やベトナム政府から表彰を受けた日本人もいます。そしてジュネーヴ協定後、日本兵たちの一部 (150人) は日本に帰国し、その他多く (数百人) はベトナムに留まり続けたとされています。
ちなみに日本は1951年に南ベトナムと平和条約を締結。この時、約150億円の戦争賠償金が支払われています。
《続きを読む》現在、日越関係は「アジアにおける平和と繁栄のための広範な戦略的パートナーシップ」の下,政治・経済・安全保障・文化・人的交流など幅広い分野で緊密に連携しています。ODAは日本が最大の支援国ですし、日本のODA支援によってタンソンニャット国際空港 (ホーチミン ) や橋など、多くのインフラが整備されていきました。
また、ソフト面でのインフラともいうべき法律分野でも日本の法整備支援が大きな役割を果たしています。ベトナムは1986年の (刷新というスローガンを掲げた)ドイモイ政策以後、市場経済システムへの移行のためそれに適した「法」の整備が重要な課題の1つとなっていました。ここに日本が大きく貢献していったのです。
「信頼のパートナー、堅固な安定」という方針で両国友好関係を発展させることを約束し、「堅固な協力関係を築く」という一般的言明を締結しました。ただし、高速鉄道計画や原子力発電所計画は「財政難」のため、日本との間で交わされた契約は白紙撤回されています。
《続きを読む》ベトナムは平均年齢が28歳と若いため、市場 (マーケット) としてとても高く評価されています。なぜなら、労働力確保が容易でさらなる経済成長が見込めるからです (ちなみに日本は45歳くらい)。そんなベトナムと日本は友好関係にあります。同じアジアの国として、また重要な輸出入の取引相手としてお互いを重視しています。
ベトナムは社会主義国なので民主主義の日本とは政治的スタンスが違うようにも思えますが、日本とベトナムは共に中国との領土問題を抱えており、大国である対中外交のためにもタッグを組んでいる状況なのです。ベトナム経済には様々な国が投資していますが、前述した通り日本はその中でも最大です。貿易の取引額も多く、インフラ・医療・教育面での支援額もかなりのものです。こうした援助を続けてきた結果、両国関係は密接になり「日本人に対するイメージも良い」ものとなっています。
《続きを読む》1995年、ASEANに正式加盟したベトナムは1998年、APECにも正式参加します。その後2008年には初めて国連安保非常任理事国(任期2008~2009年) となりました。また2013年にはベトナム人民軍を国連PKO活動に参加させることを決定。平和維持分野における貢献を強めようとしています。そんなベトナムは1995年にアメリカと国交正常化を行い、経済面を中心に密な関係を築いてきています。
中国とは1979年に戦火を交えたものの,1991年に関係は修復。2008年の共同宣言では「包括的かつ戦略的な協力パートナー」となることに合意します。とはいえ、ベトナムにとって中国は歴史上常に「脅威」であり続けています。現在でも友好関係を保ちつつ、潜在的警戒感は払拭できずにいます。
2018年の日本の対ベトナム投資額及び証券投資は86億ドルで、国・地域別では第1位となりました (累積投資認可額は韓国に次いで第2位)。日越関係の深化に伴い、国民レベルでの交流も非常に活発化してきています。2018年には日越外交関係樹立45周年を迎え、両国において多くの記念文化事業が開催されました。
ただ一つ気がかりなのは、日本が「外国人技能実習制度」の名のもと善良なベトナム人たちを奴隷扱いしていることです。これは見過ごすことのできない人権侵害といっていいでしょう。早急に改善されることが望まれます。
「ベトナム在留邦人数:約2万人」「在ベトナム日系企業数:約2000社」「在日ベトナム人数:約33万人」…400年以上前、ベトナム中部のホイアン市で日本の商人が「日本町」を建設し、両国の貿易交流が始まりました。現在まで両国で大切に保たれている文化財をみると、日越友好関係は文化的な類似点から生まれ、自然に形成され、発展しているように思えます。
ここ数年、世界経済危機や東日本大震災の多大な影響を受けている日本は、引き続きベトナムの最も大きなODA援助国です。G7のメンバーである日本は、最初にベトナム経済を市場経済に認めたという経緯もあります (2011年10月)。そして何より日本はベトナムの第3番目の貿易相手国です。両国間の教育・科学技術・文化・スポーツ・民間交流なども非常に盛んになってきています。日本とよく似た勤勉な国民性を持つベトナム、経済大国化が予想されるベトナムと、これからも引き続き仲良くやっていきたいものですね。