2016年、中国の掲示板サイトに「なぜ中国には京都のような都市がないのか?」と題するスレッドが立ち上がりました。
その答えは「文化大革命などでそのほとんどが壊されちゃったから」だというのです。
確かに、京都は世界的な観光地でランキングでも度々1位になっています。
「京都は本当に美しい!中国には西安があるけど、やっぱり京都は美しいなぁ」とは中国人の素直な言葉です。
中国では西安・北京・南京・洛陽の4つの歴史的に重要な都市を「四大古都」と呼んでいます。ちなみに西安は、かつて長安と呼ばれた古都で、西周から秦、唐などいくつもの王朝の都として繁栄してきた歴史ある都市です。
しかしながら、中国人の間では「ただの薄汚れた田舎町」と受け止められているようです。
飢饉、災害、侵略、内乱、革命など、激動の歴史を重ねる中国では、数千年にわたる中華文明の遺産が数多く失われてきました。それでも、奇跡的に「古き良き」中国が残っている場所もあるのです。
そこで今回は、「四大古都」ではなく、筆者が選ぶ中国の「古き良き」古都をいくつか紹介してみたいと思います。
① 麗江古城
赤い提灯の灯りがぼんやりと浮かぶ、まるで「千と千尋の神隠し」ような雰囲気すら漂う水辺の町…
広大な中国には、こんなにも美しい歴史都市がまだ残っていたのです!
ここは中国雲南省にある麗江古城 (れいこうこじょう)。8世紀に少数民族ナシ族がこの地にたどり着き、以来、中国文化や近隣の影響を受けつつ現在のような独特な街並みが完成しました。
ミャンマーとインドに接する地で、標高2,400メートルにあります。
城下に広がる四方街。石畳のロマンティックな街並みが特徴的です。まるで歴史の忘れ形見のようなこの美しさ!
当然、世界遺産です!
池に映る城がとても風情ありますね ♡
世界の文字の中でも唯一、生きた象形文字としてユネスコ世界記憶遺産に登録されています。「色によって意味を変えうる文字」とも言われています。
② 水の郷 西塘
ここはトム・クルーズが映画『ミッション・インポッシブル3』で屋根を駆け抜けた場所です!
ノスタルジックな景観が美しい西塘は2001年、ユネスコの世界遺産暫定リスト入りをしている状態です (実質「世界遺産」といっていいレベルの美しい景観ですね)。
ここ西塘では、水に面して家や商店が建ち、122本の水路が走り、モノの輸送や取引で船が使われています。
2500年前の春秋戦国時代、西塘は呉国と越国の境となり、軍事的利便性から境界争いをした場所で、「呉根越角」とも呼ばれていました。街の形が作られたのは元代の頃で、その頃水際に繁華街ができました。明清時代には手工業と商業で栄えた町なのです。
③ 諸葛村
諸葛村は、浙江省蘭渓市にある諸葛亮孔明の子孫が八卦にしたがって作った八角形の村です。4,000人の住民の8割が諸葛姓とされています。数百年前の明・清時代の歴史的建築物が良い状態で200以上残っているのが嬉しいですねー
周りを8つの山が囲む盆地に作られた諸葛村は、外敵から見つかりにくく、防衛性が高いとされています。村の中心に、太極図の形に作られた「鐘池」があり、そこから8本の小道が放射状に伸びています。
行き止まりがあり、高低差があるため、方向感覚を失いやすく、たとえ敵が侵入しても捕らえやすい構造となっています。
伝えられるところによれば、浙江省に侵攻した旧日本軍も、すぐ近くの道を通ったもののこの諸葛村を見つけることはできなかったといいます。
1920年代の国民党の北伐でも、近隣の村が戦乱で荒れる中、諸葛村は無傷でした。諸葛大師 (諸葛亮孔明) の智慧は、今もなお一族を守っているのです。
④ ドゥゲ・ゾン
長い歴史の中で、チベットは中国と肩を並べる大国でした。現代、共産党による圧力でチベット文化が破壊される中、古都ドゥゲ・ゾンには1,300年前の中国とチベットの文化交易が残されているのです。
唐の時代、ドゥゲ・ゾンはチベットと中国をつなぐ茶と塩の道に作られていました。ここにはチベット軍の侵略から守るための要塞もあり、街の名は「石の上に立つ城」の意味が込められているのです。
チベット文化では尊重の証として白が好まれているため、街では白土を使った塗料が壁や道路に使われています。そのため、夜になると町は銀色に光り輝き、ドゥゲ・ゾンは「月光の街」と例えられていたのですが…
残念ながら、ドゥゲ・ゾンは2014年の大火事で街の7割が消失してしまいました。現在も復興作業が進められています。
☆ 最後に
中国で「六大古都」と言えば、「四大古都」に開封、杭州を加えたものです。
「十大古都」と言えば、「六大古都」に安陽、鄭州、大同、成都を加えたものです。
参考までに!