イラクは、イラン・トルコ・シリア・ヨルダン・サウジアラビア・クウェートといった異なる民族や文化の国々と隣接しているわけですが、我々日本人にとって「イラクは治安の悪い国」というイメージを抱いている方が多いことでしょう。確かに、紀元前から紛争の絶えない地域でもあります。
そんなイラクは、第一次世界大戦の後イギリスに支配されることで一時的に安定しますが、第二次大戦後は再び混乱の中に。その後、サダム・フセイン独裁政権によって再び (国内は) 安定をもたらすのですが、隣国イランと川の水利を巡って戦争、さらにクウェートに油田の利権を得るため侵攻。結局治安は保たれなかったのです。
今回は、そんな危険なイメージのあるイラクの基本情報 & 人気観光スポットを紹介したいと思います。国内のあちらこちらに世界遺産や歴史的遺構が点在しています。そんなイラクのおすすめスポットを紹介しましょう!
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イラクは「中東」とも「西アジア」とも言える国で、メソポタミア文明の発祥地でもあります。つまり、現イラクの国土は、そのまま歴史上の古代メソポタミア文明 (世界三大文明のひとつ) が栄えた土地なんです。そう考えるとすごい国ですね。また、世界で3番目の原油 (石油) 埋蔵国でもあります。
◉ 首都 : バグダード (バグダッド)
◉ 公用語 : アラビア語、クルド語
(知的レベルの高い人は英語を話せます)
イラン・イラク戦争 (1980〜1988年) が長く続いたのち、イラクは隣国クウェートに侵攻します (1990年)。これがきっかけとなってアメリカと湾岸戦争 (多国籍軍による空爆) が勃発します (1991年)。
サダム・フセイン政権は敗れた後も存続しますが、その後「大量破壊兵器の所持」疑惑が持ち上がり、再び攻撃されるのです。2003年にはアメリカ軍によって「赤い夜明け作戦」が決行され、独裁者フセインは逮捕されます。
◉ 人口 : 約3,300万人
◉ 通貨 : イラク・ディナール (IQD)
旧イラク共和国の滅亡後はアメリカ・イギリスを中心とするCPA (連合国暫定当局) によって統治され (2003年4月〜2004年6月) 、その後イラク暫定政権に主権が譲渡されます (2004年6月)。イラクに新政権が立ち上がり、アメリカ監視のもと治安も回復。とはいえ、イラク国内の政治は複数の民族や異なる主張を持つ人たちの対立を生み、民主化はうまく進みませんでした。治安も安定しないまま。
そんな中、裁判によって「大量虐殺」などの罪が訴追されたサダム・フセインは、2006年12月にバグダードの刑務所で死刑 (絞首刑) が執行されたのです (享年69)。
◉ アクセス : 日本からの直行便はありません。ドバイなどを経由して14時間ほどかかります。
◉ ビザ : 非常に危険なため、ビザの発給は一時停止されている状況です。
イラクという名には「豊かな過去を持つ国」と言う意味があるそうです。世界最古の文明であるメソポタミア文明が花開き、バビロニア帝国やアッシリア王国、そして紀元前6世紀頃からはアケメネス朝ペルシア帝国の一部となり、豊かな文化を生み出しました。その後この地にはムハマンドが興したイスラム教が広がって、アラブ人を中心とするイスラム帝国が誕生し、急速に拡大していったのです。
現在は情勢が不安定で渡航が難しくなっていますが、イラクには「ハトラ」(都市遺跡)、「アッシュール」(遺跡)、「サーマッラー」(考古学都市)、「アルビール」(城塞)、「アフワール」(大湿原) と5つの世界遺産があります。このように、観光地としての魅力も持ち合わせているのです。長く続く戦争のため世界遺産の保存が危ぶまれていますが、早く平和が訪れることを心より願っています。
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外務省から「退避と渡航延期」の勧告が出されています。世界治安危険度ランキングでは163カ国中 160位。
2010年、安定が期待されたイラクの政権は安定しきらず、軍の訓練も十分とは言えないまま、治安維持に大きな影響力を持っていたアメリカ軍が撤退します。これによって再びイラクの治安は不安定化し、翌2011年に起こった自爆テロをきっかけに治安は一気に悪化していくのです。
さらに隣国シリアで内戦が始まり、反政府勢力が国境を越えて侵入してきます。イスラム原理主義過激派のISも急激に勢いを増し、イラク国内の一部を占拠。イラク、イラン、トルコにまたがるクルド人勢力も独立を主張するなど、イラク国内は完全に混乱し、治安部隊にも毎月1,000人単位で犠牲がでるほどの内乱状態となりました。
このような感じで、日本人が自由に入国できた時期はほとんどありません。それほど治安が安定していない国なのです。ただ、日本人に対する悪感情を持つ人がいる国ではありません。それでも、(地域による差は多少ありますが) 治安はやっぱり悪いのです。
まず、シリアやサウジアラビアと国境を接しているイラク西部は非常に治安が悪くて危険です。一方で、イランと接している東部地区は多少は治安が保たれている地域と言えるでしょう。とはいえ、全体的にテロや戦闘の危険があるため、基本的には近寄ってはいけません。
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繰り返しになりますが現在、(基本的に) 旅行目的でイラクに入国することはできません。普通の旅行者にとって、今は行ってはいけない治安状況なのです。それでも、絶対に入国できないわけではありません。(流動的な状況次第で) ビザを申請し取得できるかもしれません。隣国の国境まで行ってみると、入国できる場合だってあるのです。
日本だけでなく欧米からもイラクへの渡航を希望する人は少なくありません。その背景には、無法状態への憧れや現状への不満があるのかもしれません。しかしながら、そのような興味本意の動機で渡航するには危険すぎます。よく考え、慎重に判断しましょう。命の危険がありますので、入国は治安が回復するまで待ちましょう。
イラクの首都で最大都市として知られるバグダードは治安が安定していないため、「世界で最もストレス度の高い」「危険な」都市といったダークなイメージがついていますが、2015年以降アニメ(コスプレ) イベントが開催されるなど、状況は少し違うようです。そんなバグダードの観光スポット5ヶ所を以下に紹介しておきましょう。
※ とはいえ、渡航中止勧告が出ていますので、行くのは今ではありません
① アブー・ハニーファ・モスク
《続きを読む》スンニ派のモスクとして有名なAbu Hanifa Mosqueは、バグダードの歴史を垣間見ることのできる人気の観光スポットです。館内には赤マットが敷かれており、ゴージャス感と神聖さを感じることができます。周りはクリーム色の煌びやかなイメージのある造りとなっています。広い敷地に作られているこのモスクはバグダードでは重要な存在で、夜のライトアップはとっても素敵ですよ。
② アル・シャヒード・モニュメント
《続きを読む》バクダード中央駅から7kmほど離れたティグリス河畔に、トルコブルーに輝く「THE MONUMENT OF SADAM’S QADISSIYA martyrsS」という (イラン・イラク戦争の) 殉教者慰霊モニュメントがあります。2枚の蓮の花弁をかたどった斬新な形で、高さは40m。日本の鹿島建設が総工費270億円をかけて、1983年に完成させました。まるで桃を2つに割ったかのような印象的な記念碑ですね。下部には講堂や博物館もあります。
③ アル・ジャワダイン
《続きを読む》Al Jawadain Holy Shrineは、過去に何回かに渡って修復工事が行われています。ゴールドの輝きが美しく、存在感がありますね。この建築構造や色などを見ていると、イスラム教徒だけに限らず、多くの人を魅了する何かが感じられます。
④ ムタナッビー像
《続きを読む》ムタナッビー像は、アル・ムタナッビー通りにあるかなり目立つ場所にある像です。ちなみにムタナッビーは本名ではなく、「預言者と称する男」という意味のあだ名です。彼はアラブで最も偉大な詩人として知られる人物で、9歳の頃から詩を書き始め、知性溢れる詩を書き続けていました。
過激な政治や宗教運動に加わったり、自ら預言者と称したりして投獄や流浪など波乱の多い人生を送ります。最終的には遊牧民の群盗に襲われ殺されてしまいますが、彼の書いた詩のテーマには「人生哲学」「戦い」「勇気」などがあり、当時の王や指導者たちに賞賛されていました。それらの詩は今でもアラブ世界では有名です。
⑤ バグダード博物館
《続きを読む》様々なシーンを実物大で表現しているバグダード博物館は、チグリス川近くにある人気の観光スポットです。実物大の模型などを使って、市民の生活・習慣・民芸・貿易などのシーンをリアルに表現しています。見て回っていると、昔のバグダード市民の生活シーンに遭遇できるのですごく楽しめます。戦争で被害に遭ったバグダード博物館ですが、リニューアルオープンし現在に至っています。
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アッシュール (アッシュル) は、首都バグダードの北方、チグリス川の西岸に存在した古代アッシリア帝国の最初の首都です。この遺跡はダム建設計画による水没が心配されており、世界遺産登録と同時に危機遺産にも登録されました。現在、ダム設計計画は中断されていますが、予断は許さない状況にあるようです。
ジッグラト (聖塔) や宮殿跡など、遺跡の大部分は土に埋もれたままとなっていますが、文献によれば38の神殿があったそうです。一部報道によれば、アッシュールの遺跡は2015年にISILによって爆破されてしまったとも伝えられています。貴重な世界遺産が損傷してしまった可能性は高いと言えるでしょう。他方で、20世紀初めにドイツの調査団によって発掘がなされており、その際の出土品はロンドンの大英博物館などに収蔵されています。
現在もこの地域は危険地域に指定されているため、いかなる理由があっても行くことはできません。早く平和になって発掘が進み、観光客が訪れることができるようになるといいですね。
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イラク南部の湿原は、世界でもっとも重要な湿地生態系のひとつと考えられています。旧イラク政権下において、この湿原地域の生態系が広範囲にわたって破壊されたことは、居住民が離散し難民化した事態とともに、イラク国内における最大の環境的・人道的災害のひとつと言われています。そのため、この域内の生態系と生物多様性の保存は、紛争後のイラク復興期以来「国家としての優先事項」となっています。
この湿原には、他に類をみない歴史的、文化的、環境的、水文学的、社会経済的な特徴があります。そうした背景もあってこの湿地は「生物多様性の保護地とメソポタミア都市群の残存する景観」として世界遺産に登録されているのです。
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エルビル (アルビール) はイラク北部の街で、クルド自治区の首都です。ここは人類が住み続けている世界最古の都市の一つと言われており、2014年に世界遺産に登録されました。その歴史は紀元前5000頃まで遡ることができます。メソポタミア文明の都市国家の一つで、6,000年以上にわたって層を重ねたテル(遺跡丘) の上に要塞化された住居があり、現在でも人が住み続けています。内部には迷路状の街路や袋小路が広がっており、とても興味深い観光地となっています。
そんなエルビルは、イラクの中で比較的安全な場所だと言われています。危険なイラクにおいて、比較的旅行で行きやすい場所の一つと言えるでしょう。エルビルは例外的に治安が大幅に改善されていることから、イラク復興事業をにらんだ外国企業の進出が相次いでいます。その開発ラッシュぶりは、「第2のドバイ」と言わしめるほどです。
エルビル以外の大半のイラクにはアラブ人が住んでいますが、エルビル地区にはクルド人が住んでいます。ちなみに英語はほとんど通じません。そして、正直、観光地としてはあまり見どころがないということは覚えておきましょう。人々との触れ合い & 雰囲気が全てです。イラクの中にある「平和」を感じてみてください。
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首都バグダードの北西80kmのところにある都市サーマッラーはメソポタミア文明以来の歴史をもち、9世紀にはアッバース朝の首都が置かれました。この遺跡はアッバース朝の都市遺跡の中で唯一原形が保たれているとされており、貴重な遺構が数多くあるため世界遺産に登録されました。同時に危機遺産リストにも登録。遺跡の80%は未だに発掘されていないそうです。
この街はシーア派の聖地としても知られ、サーマッラー市内にはモスクのほか多くのカリフの宮殿が残されています。中でも、モスクにあるらせん式のミナレット (尖塔) はイラクで最も重要な遺跡の1つとされており、イラクの至宝と評されています。このようならせん式の塔は、世界でも3つしかないそうです。
現在、サーマッラー周辺には残念ながら外務省の海外危険情報レベル4が発令されています。いかなる理由であってもこの地域へ渡航することはできません。
また、サーマッラーのシンボルであるマルウィヤ・ミナレットは、2005年のイラク戦争の際にアメリカ軍の砲撃によって頭頂部が損傷してしまいました。一刻も早い治安の回復と、世界遺産の修復が待ち望まれます。
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ハトラはイラク北部の砂漠地帯に残る歴史的な都市遺跡で世界遺産 (危機遺産) にも登録されていましたが、イスラム過激派組織「イスラム国」に破壊されてしまいました (2015年)。ハトラは別名を「神の家」といい、紀元前1世紀頃にパルティア人の軍事都市として建設されたものです。
ローマ帝国に何度も攻撃されますが、一度もおちることのなかった要塞都市でもあります。修復には時間と費用がかかるようで、国際社会の協力が求められています。一刻も早く、観光地として復活することを願いたいものです。
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バビロンはバグダードの南方約90kmの地点にユーフラテス川をまたいで広がる、メソポタミア地方の古代都市です。 巨大城壁や空中庭園の伝説で知られており、世界7不思議の一つにも数えられています。バビロン帝国は聖書の記述にあったものの、一時は「存在しない」「幻の都市」とさえ言われました。しかし、1899年にドイツの考古学者に発見されてから研究が進み、最盛期には数百万の人口を抱える巨大都市だったことがわかっています。
遺跡の中心はイシュタル門と呼ばれる龍や牡牛をかたどった大門ですが、現在はベルリンのペルガモン博物館に展示されています。庭園は階段状の立体的なもので、あまりにも高いため空中に浮いているように見えたようです。アケメネス朝ペルシアが侵攻してきた際、破壊されてしまったと伝えられています。
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筆者は数年前、イランから陸路入国し、イラクのクルディスタン地域を訪れたことがあります。場所によっては内戦もあって治安には不安もありましたが、入国したのです。滞在期間中、一度も危険を感じたことはありません。ちなみにクルディスタン地域外へ行く際には、イラクのビザが別途必要になります。クルディスタンの人々は旅行者にとても親切で、よくありがちなボッタクリやお釣りの誤魔化しなども一切ありませんでした。クルディスタンの旅のハイライトは間違いなく「人の優しさ」になるでしょう。
クルディスタン地域内では都市間を結ぶ公共交通機関が存在しないため、基本的にはシェアタクシーでの移動になります。観光地は限られています。もともと観光資源が少ないのもありますが、治安面での問題や郊外へのアクセスが非常に困難なこともあり、「観光スポット」はないものと思った方がいいです。基本的には観光地を楽しむ場所ではなく、人との交流や何気ない街歩きを楽しむ場所だと思います。
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ナジャフにあるワディ・アル・サラームは、アラビア語で「平和の谷」という意味の世界最大規模の墓地です。1,400年以上の歴史があるイスラム教シーア派の重要な聖地でもあり、偉大な人物を含めた何百万人もの人々がここに眠っています。
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食事に関しては隣国のトルコやイランと同じような感じで、ケバブや肉料理が一般的です。小綺麗なレストランで10,000ディナール(約1000円) のメニューを掲げているところが多い印象です。
宿泊に関しては、安宿で15,000〜20,000ディナールほど、中級宿で20,000〜30,000ディナールといった感じです。ホテルの予約サイトでは4,000円前後が最安値で件数も少ないようですが、実際には多くのホテルやホステルがあります。格安宿が良いのであれば、現地に着いてから探しましょう。容易に見つかりますよ。
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ショッピングモールやカフェなど、エアコンが効いている休憩所があまりないため、夏期 (6〜8月) の旅行はかなり辛いものになります。また、ラマダン月の渡航も避けた方がいいでしょう。それ以外であれば大体大丈夫です。
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イラクの市場でよく目にするのはイスラム教の礼拝で使用する数珠です。2重にして使うような長いものが多く、専門店ではカラフルなものがたくさん売られており、日本の仏教で使われる数珠の感覚からするとおしゃれに感じてしまうかもしれません。コインのようなものが一緒に紐に通されているようなものもあり、イラク感のあるお土産と言えるでしょう。
また、イラクはドライいちじくの産地でもありますので、こちらもお土産に最適です。「健康」「美容」「不老長寿」を願う人へのプレゼントにどうぞ。
世界遺産を中心に、イラクの観光スポットを紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?平和でありさえすれば、どこも一度は訪れる価値のある名所です。イラクは、古代から豊かな文化が花開いた土地なので、深〜い歴史を持っているんです。
現在、イラクは不安定な情勢が続いているため観光旅行は難しくなっています。早く平和になって、世界中の人たちが安全にイラクの地に降り立てることを心より願いたいと思います。大切な文化的遺産を守るためにも、政情安定を願うばかりですね。