デヴィ夫人とインドネシアの関係



「私が大統領夫人になったと実感したのは、空港に赤いじゅうたんが敷きつめられ、お迎えの人たちが行列をなしているのを見た瞬間でした」

1940年2月6日生まれのデヴィ夫人 (日本名:根本七保子) は、日本生まれのタレント兼ビジネスウーマンです。のちに (1962年) インドネシアのスカルノ大統領と結婚し (第3夫人となって) インドネシア国籍となりました。若くして「地位」「名声」「財力」のすべてを手に入れたわけですが結婚から3年、軍事クーデターを機に生活が一転。夫 (スカルノ大統領) が失脚すると命からがら故国・日本へ、そしてパリに亡命となるのです。

やがて時代は昭和から平成へと変わり、日本の芸能界でその存在感を増していくのです。ちなみに夫人にはスカルノ大統領との間に生まれた一人娘 (カリナさん) がいて、海外でリッチな方と結婚し幸せに暮らしているそうです。

 

デヴィ夫人の基本情報

その生い立ちは、けっして裕福なものではありませんでした。戦時中は母・弟と3人で福島県に疎開しており、その後15歳 (1955年) になったデヴィ夫人は映画にエキストラとして出演したり、保険会社で働いたり、高級クラブで働いたり。。。どうやらこの時期に父親が亡くなったため、高級クラブで稼ぐことになったようです。

そこで知り合ったスカルノ大統領に見初められ、4人の夫人のうち第3夫人となるのです (1962年)。しかしながらまもなく母親は亡くなり、弟は自殺。自殺の理由は諸説あります (セールスマンに全財産を騙し取られたためだとか、母の死に目に会えなかった体とか、姉の存在が嫌だったからだとか)。

ともあれ、こうして若くして天涯孤独の身となったデヴィ夫人は1967年3月11日に都内の病院で一人娘を出産。その後 (クーデター後) 政治的亡命者に寛容なフランスに亡命し、夫が存命中であるにも関わらず数回の婚約発表で世間を賑わすも、結局再婚はしませんでした (スカルノさんは1970年に死去)。

 

第3夫人としての資産は与えられなかったとも与えられたとも言われていますが、いずれにしてもその後のインドネシア政府の方針で遺産分与は行われているようです。「社交界の華」として、あるいはビジネスウーマンとして活躍した1980年代。その後1991年にはニューヨークに移住し、インドネシアの第一線からは完全に退き、現在に至っています。

そんな夫人は「核家族化」や「孤独死」「幼児虐待」など、「日本の家族関係」がすごく気になっているようです。なんといっても子供世代では「親の面倒をみるのが面倒だ」といった声もあがっていますからね。みんな、利己主義になりすぎていませんか?

 

 

スカルノに寵愛されたデヴィ夫人

イスラム教では第4夫人まで認められているのですが、本来は戦争未亡人・戦争孤児救済のための制度なので、現代社会においてはインドネシアでも複数の夫人を擁するケースは殆どありません。それはともかく、インドネシアに渡ってからのデヴィさんはスカルノさんに寵愛され、日本企業のデヴィ参りが盛ん (彼女を通さないと仕事が貰えない状態) だったそうです。

しかしながら、現代のインドネシア人の中にはこうした歴史を恥辱以外の何物でもないと考えている人も少なくないようです。

 

 

クーデターに敗れたデヴィ夫人

「過去にインドネシアで推定800億円もの土地を失ってしまった」「とても悔しい」と明かしてくれたデヴィ夫人。どうやら、ジャカルタの中心部に5・5ヘクタールの土地を持っていて、病院を建てようと思っていたのに政変が起こって没収されてしまったらしいのです (1965年)。法廷闘争に持ち込んだものの、取り戻すには至らなかったといいます。

「あの国は法律よりも権力が強い国だから…。その時の政権にうまくすり寄っていれば取り戻せたかもしれないわね」と話しつつ、「もし戻っていたら今頃日本にいなかったかもしれない」ともおっしゃっています。

 

 

破天荒なデヴィ夫人

インドネシアにおいて、デヴィ夫人はあまり好かれていないようです。なぜなら、「夜の蝶」として活動した結果大統領夫人になったこと、日本でヌード写真を出したことを皆知っているからです。インドネシア人にしてみれば、「敬愛するスカルノ大統領の夫人がなぜあんな事をしたのか。国辱である。」と考えるのも無理はありません。

その後のデヴィ夫人はというと、欧州でも浮名を流し、何人もの恋人が話題になりました。アメリカでは酔った勢いで傷害事件を起こし、実刑判決を受け、実際に刑務所で服役したのです。また、スカルノがデヴィのために建てたヤソ宮殿 (今の軍事博物館) の所有権を巡って国を相手に裁判を起こしたり、無茶苦茶な言動を繰り返したりと忌み嫌われている部分もあるようです。

国民にしてみれば、「頼むからスカルノの名を使わないで」というのが本音のようです。

 

 

おわりに

インドネシアでは、毎年8月17日の独立記念日に独立記念塔の下の広場で大々的な式典が行われます。国の発展に功績のあった人やその縁者の人たちが時の大統領から招待され、貴賓席に並ぶのです。この席に娘のカリナさんは毎年列席しているようですが、デヴィ夫人は招待されていないのか参列していません。

インドネシアの初代大統領夫人だったデヴィさん。国籍は未だインドネシアのようです。日本を中心にタレント活動をされている分には問題ないのですが、我々日本人はインドネシアに行って「デヴィ夫人」を話題にするのはやめた方が良さそうです。余計なトラブルに巻き込まれないためにも。