テレビ番組「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波乱万丈伝〜」で特集された起業家の谷口浩さんは、フィジーに永住する覚悟で現地に語学留学関係の会社を設立。
そんな谷口さんは、フィジー政府から語学学校の実績とフィジーへの功績を買われ、どうしようもない、荒廃しきっていた高校の再建を依頼され、見事成功するのです。
そこで今回は、余命半年の宣告を受けてもなおフィジーのために働き続ける彼の生き様を紹介したいと思います。
谷口浩さんのプロフィール
・生年月日:1972年1月10日
・出身地:福井県小浜市
・趣味:釣り、バイク
・ 出身大学:中国・上海にある同済大学を自主退学
大学退学後、日本には戻って来ず、香港で不動産会社に就職し、その後タイのバンコクで建築関係の仕事に就くなど、若い頃はアジアを飛び回る生活。
しかしながら、アジア金融危機の影響から日本に帰国し、父親の建設会社に入社するも、父親とは折が合わず1年半で辞職。その際、財産放棄の書類を書いて、家出のような形でバイクで家を飛び出したそうです。
そして、辿り着いた石川県金沢市で、中国人労働者向けの日本語教育や、国内企業への人材提供などを事業の柱とする協同組合を設立 (そこそこ成功したようです)。
ただ、働き詰めの毎日で、過労死寸前の状態に。。。
余命半年の宣告を受けるも…
この時、体調不良を訴え病院へ行ってみてびっくり!白血病ということで、まさかの余命半年宣告をされてしまったのです。
谷口さんはあまりのことにショックでしばらくは何もやる気が起きなかったそうですが、別の病院で再度検査をしてもらうと、「白血病に似てはいますが違います。メガロサイトウイルス感染症ですね」と診断されます。
抗ウイルス薬治療を終え、余命半年…ではなくなったものの、現在もいつ死ぬか全くわからない状態が続いています。
この “死と向き合った” 経験から、谷口さんは「これからは自分が本当にやりたいことをやっていこう」と決意したのです。
フィジーで語学留学ビジネスをスタート
海外旅行であちこち行きまくった谷口さんの心は、なぜかフィジーに奪われてしまいました。綺麗な海、自然、そして人々の純粋なまでの笑顔に魅了されてしまったのです。
ラッキーなことにフィジーの公用語は英語です。「これは使える!」そう閃いた谷口さんは、「住んでみたい」この国で、語学学校ビジネスを開始するのです。
アメリカ、イギリス、オーストラリアなどと比べると破格に安い留学費 (3分の1ほどの費用) を売りに、この留学ビジネスは順調に成長していきます。
そして、
貧困率の高いフィジーにおいて、わずかながら海外からの人の流れを作り、雇用を生み出した谷口さんの起業家としての腕が見込まれ、政府から「ボロボロだった高校」の再建を依頼されたのです。
フィジーの現実
日本から約7200km離れたところに位置する小さな島国・フィジー共和国は常夏で、世界中から多くの観光客が訪れる一方、リゾート地を離れると貧しい人々が多く暮らしているような国なのです。
貧困層が暮らす地域ではインフラ整備もままならず、病気は蔓延し、病院で満足な治療が受けられていないのが実情なのです。
荒廃した高校をわずか数年で人気校に!
建物はボロボロ (屋根やガラスが壊れている状態) で、生徒も不良ばかり。フィジー国内でも底辺に近いところに位置していたこのダメな高校を、どうやって再建していったらいいものだろうか…
「よしっ!まずは注目を集めることから始めよう!」
そう考えた谷口さんは、自身も経験があり、フィジーの国技でもあったラグビー (部) を強くすることで高校の知名度を上げようと挑戦を開始します。
グランドの整備から名コーチの手配まで、当初は全て自腹を切ってのスタートです。
大変な苦労も多かったようですが、この谷口さんの強い思いは功を奏し、同校ラグビー部は強豪となっていきます。その結果、「自分もこの高校に入りたい」と入学を希望する生徒たちが次第に増えていったのです。
さらに、フィジーは貧困の国です。貧しさのあまり、高校で勉強することのできない若者たちが多い現状があります。
「なんとかこの状況を改善できないものだろうか?」
ここで谷口さんにあることが閃きます。
それは、「授業料の無料化」「教材の無償貸し出し」です。
でもどうやって?
Win-Winの関係を構築
谷口さんは
- 英語を安く学びたい日本人を留学生として受け入れ
- その収入をもとにフィジー人の授業料を無料にし
- 学校給食を採用し飢えのない暮らしを提供
- さらに、日本からは引きこもりや登校拒否生徒の受け入れも開始
これにより、
貧しいフィジー人に「学ぶ機会とランチ」を与え、日本の若者に「英語を安くで学ぶ機会」を与え、登校拒否生徒に「人生をやり直す機会」を与えることに成功したのです。
もう一つおまけに、アトピー性皮膚炎の日本の子供たちがフィジーに来ることによって、症状が改善されたとする報告もあります。
おわりに
谷口さんは、日本での抗がん剤治療を終え、苦しいながらも何とか生活できるまでに回復し、再びフィジーへと旅立ちました (ステージ4のがん “濾胞性リンパ腫” と診断されているらしいのですが)。
そう遠くない将来、自分はこの病気で死ぬだろうことを覚悟の上で、「どうしてもやっておきたいこと」を果たすため、フィジーへと旅立って行ったのです。
学校の卒業式の日、谷口さんは生徒たちに自らのがんを公表し「時間は待ってはくれないんだ」と涙ながらに時間の大切さを訴えかけます。
谷口さんの声は、生徒たちの心にしっかりと届いたようです。
奇跡的な何かを成し遂げる人というのは、人知れずすごい努力をし、熱い想いを胸に秘めているものなんですね。
もしあなたが「余命半年です」と宣告されたらどうしますか?誰とどこでどんな人生を送って余生を過ごしたいですか?
少し考えてみてくださいね。
それでは (^ ^)