【東日本大震災】意外な国からの支援に感謝!



2012年2月、東日本大震災で被災した自治体や募金団体などに寄せられた義援金や寄付金は、「少なくとも4400億円に達し」「国民の4人に3人が何らかの寄付をした」ことがわかっています。

もちろん、資金支援の経路は調査対象外のものも多数ありますので、もっと多くの支援金が集まっているはずです。こんなにも多くの支援金が集まった背景には、「震災の被害が大きかったこと」「放射線の影響で直接被災地に入れなかったこと」などが挙げられるでしょう。

そして、国外からも多くの支援があったことを忘れてはなりません!

 

諸外国からの迅速な支援

震災後わずか数日の間に、アメリカ・韓国・シンガポール・中国・スイス・ドイツなどの救助チームが被災地に入ってくれました。中でも、震災翌日にいち早くレスキューチームを派遣したのはお隣の韓国。

3月12日に救助犬チーム (人員5名と救助犬2匹)、3月14日に追加支援隊員102名が派遣され、宮城県で救助・捜索活動を展開してくれました。また、ほぼ同時期に中国・台湾・モンゴルなどの国々も支援活動を開始してくれました。

 

 

ロシアからの支援

ロシア政府は、豊富な経験を有する非常事態省のレスキューチームを日本に派遣してくれました。3月16日から第1隊 (75名) が宮城県で活動を開始。翌17日には第2隊の79名も合流し、総勢150名以上の規模で行方不明者の救助・捜索活動に取り組んでくれたのです。隊員たちは危険な倒壊家屋にも臆することなく入り、熱心に捜索活動を展開。

その後、以下のようなコメントを述べ、日本国民に力強いエールを送ってくれました。「日本人は偉大な民族だ。このような災害に遭っても泣き叫ぶことなく、略奪もせず、人を責めることもせず、黙々と復旧作業を行っている。日本人は、今回の災害も必ずや乗り越えるに違いない。」

 

 

オーストラリアからの支援

オーストラリアからは、3月16~19日の日程で72名の消防隊員と救助犬2頭からなる緊急援助チームが派遣されました。同チームは、巨大津波によって壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町で捜索・救助活動を展開。
また、豪州軍が保有する3機の輸送機が輸送支援のために投入されました。

その後4月23日にはギラード首相が (外国首脳の被災地訪問としては初めて) 南三陸町を訪問。支援物資のほか、被災地の子どもたちにコアラとカンガルーのぬいぐるみがプレゼントされました。子どもたちからはお礼として、ギラード首相に折り鶴が贈られたのです。

 

 

インドからの支援

インド政府は国家災害対応部隊 (NDRF) 46名を派遣してくれました。この部隊はスマトラ沖大地震・インド洋津波被害を受けて2005年に創設された組織で、この日本での活動が海外派遣初となりました。

NDRFは3月29日から4月5日の間、津波被害で町の中心部が壊滅した宮城県女川町で行方不明者の捜索活動に従事。被災者の要望に耳を傾け、粘り強く捜索活動に取り組んでくれたそうです。そんな彼らの働きぶりに、多くの被災者からは賛辞と感謝の声が聞かれました。

 

 

イスラエルからの支援

この震災で、外国政府として初めて医療支援チームを派遣してくれたのはイスラエルでした。3月27日に来日したチームは通訳を含めた53名から構成されており、多大な津波被害を受けた宮城県南三陸町に充実した検査機器を持ち込み、クリニックを開設してくれたのです。

クリニックでの診療以外にも、妊婦や赤ちゃんの往診・周辺避難所の巡回なども行い、医療活動を通して被災者と積極的に交流してくれたのです。この時イスラエルから持ち込まれた医療機材は、そのまま寄贈されました。イスラエルチームの帰国後は、ヨルダンとタイの医療支援チームが福島県を訪れてくれました。

 

 

南アフリカからの支援

南アフリカ政府が派遣した総勢45名の「Rescue South Africa (RSA)」は、2010年のハイチ地震でも活躍した実績のあるNGO団体です。隊員たちは、共に活動した日本の警察が感心するほどに規律正しく、他国チームにも快く保有機材を使用させるなど協調性も高いプロフェッショナル集団でした。

彼らは外国救助隊で唯一持ち込んだゴムボートで水上と水中での捜索活動も行いました。帰国直前には、励ましのメッセージ入りの2010年ワールドカップ公式球を贈呈。彼らの真摯で誠実な姿勢は、一緒に活動する日本の警察や消防、他国の支援チーム、さらに被災地の人々にも深い感謝の気持ちを呼び起こすものでした。

 

 

ブルンジ共和国からの5万円

ブルンジ (東アフリカ) 出身のAさんは、「津波が町を飲み込んでいる映像をニュースで見た。心優しい日本人が、遠く離れたアフリカの子どもたちを支えてくれている日本の人たちが辛い思いをしているなんて信じられない。だから、恩返しをすると決めた」。

そういって、5万円にもなる日本への寄付を集めてくれたのです。ちなみにこの5万円という金額は、現地での年収ほどの金額です。「このお金で毛布を買ってください。きっと東北は寒いはずだから」。そんなブルンジには、仕事がなく、子どもたちに必要な衣食住を与えることのできない人たちがたくさんいます。

 

 

セルビアからの支援

多くの日本人にとって近くも親しくもない異国の地セルビアは東欧に位置しています。コソボ紛争ではNATO軍から爆撃を受け、大きな被害を蒙った地域でもあります。現在は比較的平穏で復興が進んでいるといっても、けっして裕福な国ではありません。そんなセルビアが、ヨーロッパトップクラスの寄付金を集めてくれたのです。

セルビアは第一次世界大戦で最初の火花が散った場所で、その被害は尋常ではありませんでした。そのとき支援の手を差し伸べたのが日本です。さらに、コソボ紛争とその後の民主化危機にも日本が医療・教育・交通整備などで大きな支援を行ったのです。セルビア人は、自分たちの学校や病院が日本の支援で修復再建されたことを知っているのです。それが、人口700万人の小国で多額の寄付が集まる結果に結びついたのです。

 

 

モルディブからの支援

モルディブには日本が建造した津波防護壁があり、これが2004年に襲った津波から首都マレを守りました。こうした背景もあって、モルディブの人たちは義援金に先立ち大量のツナ缶を送ってきてくれたのです。モルディブは日本のマグロ漁船の主要立ち寄り港でもあります。ツナ缶は、モルディブ政府と民間両方から集められた約70万缶。これらはまっ先に被災者たちに配られたそうです。

 

 

バングラディシュからの支援

バングラディシュもまたけっして裕福な国ではなく、日本から大きな経済援助を受けている国の一つです。そんなバングラディシュの小さな村が東日本大震災を知り、「自分たちにも何かできないか」と考え寄付を集め始めてくれました。1日200円しか収入のない彼らが、その半分の100円ずつを寄付に充ててくれたのです。収入の半分を寄付。本当にありがたいことです。

 

 

ブータンからの支援

小さな友好国ブータンもまた、いち早く日本への支援を行ってくれた国の一つです。震災発生の翌日には国をあげての供養祭を行い、100万ドルもの義援金を送ってきてくれました。ブータンとの外交歴史は非常に浅いものの (1986年に外交関係が樹立) 、民間レベルでの交流は長く濃いものがあります。

特に、ブータンの農業技術の発展には大きく貢献したとして感謝されています。そんなブータンでは震災後、誰もが悲しみ、心からの祈りを捧げ、できる限りの支援を行いたいという気持ちが強かったそうです。100万ドルという義援金額は、経済的な背景からすると非常な高額です。

 

 

アフガニスタンからの支援

紛争が激化し、世界各地からの支援を必要としているアフガニスタンもまた、震災後の日本に温かい支援を送ってくれました。貧しい国でありながら、多額の寄付金を募り送ってくれたのです。アフガニスタン国民の1日あたりの収入は2ドルにも満たないという調査もあります。彼らの置かれている状況を考えると、身を削るような思いで集めてくれた義援金の重さを感ぜずにはいられません。

 

 

北朝鮮からの支援

なんと驚くべきことに、あの北朝鮮からも支援の手が差し伸べられています。朝鮮総連 (日本にある組織) の副議長が、北朝鮮から送られてきたとされる義援金10万ドルを金正日総書記名義で日本赤十字社に渡したのです。併せて、在日同胞 (在日朝鮮人) に50万ドルの義捐金が送られたと言われています。

 

 

まとめ

世界各国から様々な形で支援を受け続けた日本。これらの支援はその内容や金額に関わらず、「日本が困っている」という現実に対して寄せられた善意です。東日本大震災に続き熊本地震でも、各国・各地域は敏速に反応し、多くの支援を行ってくれました。

そして今、世界中に同じように支援を必要としている人がいます。「貧しいのに寄付を行ってくれた人がいる」という事実を忘れずに、日本人としてできることにもっと目を向けていきましょう!そうやって国際社会に大きく貢献していくことこそが日本人の使命なのではないでしょうか。

 

 

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